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名古屋地方裁判所 昭和41年(ワ)708号 判決 1973年3月14日

原告

鈴木一吉

訴訟代理人

花田啓一

外一名

被告

豊橋木工株式会社

右代表者

近藤三佐雄

右訴訟代理人

佐治良三

外四名

主文

1、原告が被告の従業員としての地位を有することを確認する。

2、被告は原告に対し、金二、八四九、六六九円および、

内金二二〇、四二〇円に対する昭和四〇年三月一日以降、

内金二八一、七三三円に対する昭和四一年三月一日以降、

内金三三〇、三五〇円に対する昭和四二年三月一日以降、

内金三八五、一〇〇円に対する昭和四三年三月一日以降、

内金四六四、九三八円に対する昭和四四年三月一日以降、

内金五三七、五六〇円に対する昭和四五年三月一日以降、

内金六二九、五六八円に対する昭和四六年三月一日以降、

各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払い、かつ、昭和四六年三月より毎月末日限り金四二、八〇〇円を支払え。

3、原告のその余の請求は棄却する。

4、訴訟費用は五分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

5、この判決第二項は仮に執行することができる。

事実

<前略>

就業規則六条四号「従業員は特に左の事項を守らなければならない。四、作業中みだりに職場を離れ又は上長の許可なく就業時間中に外出退場又は外来者と面会しないこと」、同七二条一三号「左の各号の一に該当する時は譴責減給又は出勤停止とする。一三、本就業規則の尊守事項に違反し又は指示に従わなかつたとき」<中略>、就業規則七三条四号、一〇号、一六号「左の各号の一に該当する時は懲戒解雇する。但し、情状によつては論旨解雇にする時がある。四、職務上の指示命令に不当に従わず職務の秩序を紊そうとしたとき、一〇、業務命令に不当に反抗したとき、一六、其他前各号に準ずる行為のあつたとき」<中略>。

就業規則七三条一二号ないし一四号「左の各号の一に該当する時は懲戒解雇する。但し情状によつては諭旨解雇にする時がある。一二、事実を歪曲宣伝し会社に不利益を与えたとき、一三、会社及び個人に関し事実を歪曲して発表又は宣伝流布或いは誹謗したとき、一四、破壊的な言動をなし職場の秩序を紊し若しくは紊さんとしたとき」<中略>。

就業規則六条三号、七号、一三号「従業員は特に左の事項を守らなければならない。三、業務の権限を越えてみだりに専断的なことを行なわないこと、七、社内の安寧秩序を正常に保持すること、一三、生産を直接又は間接に阻害する行為をしないこと」<中略>

就業規則六条三号、七号、一三号および同五六条三号、一一号「従業員は左の事項を厳守しなければならない。三、担当者でない者は原動機の操作をしないこと、一一、その他会社又は所属長又は安全管理者の命令又は注意に反した行動をしないこと」に違反し、前記就業規則七二条一三号、七三条四号、一〇号、および同条一五号「左の各号の一に該当する時は懲戒解雇する。但し、情状によつては論旨解雇にする時がある。一五、前条各号の一に該当しその情状が重いとき」<中略>。

就業規則六条一号、二号、「従業員は特に左の事項を守らなければならない。一、自己の職務はこれを正確且迅速に処理し常にその能率化をはかること、二、業務の遂行に当つては上下同僚互に扶け合い円滑なる運営を期すること」および前記同条四号に違反するものとして就業規則七二条四号「左の各号の一に該当する時は譴責、減給又は出勤停止とする、四、勤務怠慢、素行不良又は規則に違反し会社の風紀秩序を紊したとき」<中略>。

就業規則七一条一号「懲戒はその程度により譴責減給、出勤停止、論旨解雇及び懲戒解雇の五種とする。一、譴責は始末書をとり将来を戒める」<後略>

理由

一、被告会社は、肩書地に本社を置きピアノ木製部品、応接セット、輸出家具等の製造販売を業とする従業員約五〇名の会社であり、原告は、昭和三二年二月二二日被告会社に雇用されたものであることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被告会社は昭和三九年四月一日原告に対し解雇の予告をなし、同年五月七日付で解雇の意志表示をなしたことが認められた右認定に反する証拠はない。

二、原告の組合経歴と被告会社における組合活動の推移

<証拠>によれば、

原告は昭和三二年三月一七日被告会社従業員により愛知県一般労働組合連合会(以下「一般労連」という)を上部団体とする豊橋木工労働組合(前記「労組」)が結成された際、右絡合に加入し、同年八月半ば頃から右組合の職場委員となり、続いて同執行委員、同書記長、同副委員長に選出され、一般労連が全国的個人加盟の総評全国一般労働組合(前記「全一労組」)に組織変更するに及んで、昭和三七年四月労組も組織変更し、総評全国一般労働組合豊橋木工支部(前記「全一労組支部」)と改称した後は右支部の支部長に選出され、その後昭和三八年八月被告会社の従業員中右支部組合員が原告一人となつたため右支部が解散した後は全一労組愛知地本執行委員となり、その後、同副執行委員長として今日に至つていること、

昭和三二年七月労組は夏期手当問題に関して二日間のストライキを行なつたが、その頃労組組合員中一〇数名は労組の活動方針に従えないとの理由で労組を脱退し、同年一〇月下旬にはこれら脱退者と未加入者ら三〇数名によつて豊橋木工従業員組合(前記従組)が結成され、太田広が組合長、牧野伝夫が副組合長、加藤喜代治が書記長となつた。そして右従組の結成により労組組合員は一四、五名となり、更にその後退職者などもあつて、前記のとおり全一労組支部に改組後の昭和三八年八月には原告一人となつて右支部は解散したこと

以上の事実がそれぞれ認められ右認定に反する証拠はない。

三、本件解雇の効力

(一)  解雇事由の存否

<証拠>によれば、被告会社就業規則六条一ないし四号、七号、一三号、同五六条三号・一一号、同七二条四号・一三号、同七三条四号・一〇号・一二ないし一六号にそれぞれ被告会社主張の如き規定が存することが認められ右認定に反する証拠はない。

そこで次に被告会社主張の解雇事由該当事実の存否について検討する。

(1)  解雇事由(一)について

<証拠>によれば、昭和三七年四月当時、河合楽器株式会社の下請でピアノケースの加工をしていた被告会社は、右楽器会社が二カ月にわたる部分スト等の争議中のため同会社からの資材入荷が減少し、これに伴い生産高が大幅に減少し、そのため四月分の賃金支払の資金操に窮し、休業も考慮せざるを得ない状況となり、同月二八日に、四月分の賃金は同月末日七〇パーセントを支払うこと、および同月二八日に同年五月二日から休業する旨従業員に告知した。そこで全一労組支部では被告会社に四月分の賃金支払の確保と休業の目安をはつきりさせるべくその交渉を全一労組愛知地本に要請したのので、同地本の亀井功氏は同月三〇日午前一一時頃被告会社に赴き、折柄、工場で就業中の原告(当時支部組合の書記長)を呼出し、原告の案内で一つへだてた事務所に赴き、当初は労務担当者太田広と話し合つた。その際亀井は、原告も同席させたい旨申出たが、右申出は拒否されたので、原告は工場に戻つた。亀井はその後社長室で被告会社代表近藤三佐雄と話し合いをした。被告会社代表者は亀井に対し「四月分の賃金については同日中に七〇パーセントを、残三〇ーセントは同年五月一五日までにそれぞれ支払う。五月二日から同月五日まで休業(同月一日はメーデー、六日は日曜で共に休日)とする。右休業中の賃金補については同月一〇日ごろ、日時を指定してあらためて話し合いをしたい。」旨の回答をしたので、亀井は被告会社代表者に対し、右交渉の結論を支部組合に伝え同意を得る必要があるから、支部組合役員と協議したい旨申出で、同日午後一時四〇分頃再度工場で就労中の原告を呼び出し、原告に右交渉の結論を伝え協議し、原告の意見に従つて次回の交渉には被告会社代表者も必らず出席して貰いたい旨原告と共に被告会社代表者に要請した。そのため原告は約三五分間職場離脱をした。

以上の事実が認められる<証拠判断省略>。

以上に認定した事実によれば、原告は賃金の欠配ないし休業中の賃金補償につき使用者と話合うため来社した全一労組愛知地本の亀井の要請により、これと協議のため、約四〇分間職場を離れたこと、亀井はあらかじめ支部役員と協議したい旨を被告代表者に申出ていることが明らかである。

しかし被告会社代表者が亀井の右申出について承諾したことないし、原告の職場の上司が原告の右職場離脱について許可したと認めるに足りる的確な証拠は存しない。<証拠判断省略>

ところで、組合活動は就業時間外になされるのが原則であるが、本件のように労働者にとつて死活の問題である賃金の欠配や休業中の賃金補償につき支部組合執行委員が使用者との交渉を了えた本部役員の要請によりこれと協議するようなことは、それが就業時間内であつても使用者は正当な組合活動として受認すべきである。

本件では、亀井は前記のとおり被告会社代表者との交渉結果を支部組合に伝え同意を得るため支部組合役員と協議したい旨あらかじめ被告会社代表者に申出、右申出どおりに支部組合役員である原告と協議したのである。

してみれば、被告会社は、右のような協議をなすため、やむなくした原告の職場離脱を、正当な組合活動として受認しなければならぬ筋合であり、原告の右所為を就業規則六条四号、七二条一三号違反として問責できない筋合である。

従つてまた、原告が右の件について始末書を提出しなければならない筋合は何ら存しない。

(2)  解雇事由(二)について

<証拠>によれば、原告や伊藤光子ら支部組合幹部は昭和三六年半ば頃から同年末頃にかけて従組の組合員である武田佳久、島尚正、河合伸二、江間良八が電気代・水道代・宿泊代無料のまゝ被告会社宿直室に起居していることを問題とし、これら四名に対し、「こんな会社になぜ入つたか。」「高卒のものが来る会社ではない。」「君達は会社の特別扱いを受けている。」などと述べたこと、右四名は原告らの右言辞について相当な精神的圧迫を受けたこと、河合伸二が昭和三七年一月一日に、江間良八が同年二月二五日に、島尚正および武田佳久が同年三月一〇日に、いずれもその申し出によつて被告会社を退職したこと、がそれぞれ認められる<証拠判断省略>。

<証拠>によれば、全一労組支部組合員尾崎義朗は昭和三七年八月頃原告に対し右支部を脱退したい旨申出たところ、原告はユニオンショップ協定が結ばれていないのにかかわらず同人に対し組合を脱退すると協定によつて被告会社から解雇されることになる趣旨のことを述べたこと、同人が人事課長太田広に相談したところ、右のような協定は結ばれていないから脱退は本人の自由である旨告げられ、そのころ全一労組支部を脱退したことが認められる<証拠判断省略>。

以上認定の事実によれば原告のこれらの言辞は従組と対抗するため、従組の切りくずしと自組織を守る意図を以つてなされたことが容易に推認できるけれども、組合役員としては当を失した言辞であるとのそしりを免れないというべきである。

しかし、四名に対する言辞は一般にはこれらの者を退職せざるを得なくする程の言辞とは認められないし、またショップ協定がないのにあると虚言を言つたことは前記のとおり実害はなかつたのであるから、原告のこれら言辞はいずれも被告会社主張の解雇事由に該当すると認めることは困難である。

(3)  解雇事由(三)について

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

被告会社従業員辻本幸子は、被告会社からあまりに屡々職場変更を命ぜられるのを不満として、昭和三七年四月二七日無断で早退した。そこで被告会社は右無断早退について同女に対し始末書の提出を求めたので、同女は全一労組支部執行部に事の次第を打ち明けて相談した。全一労組支部は、同女に対する被告会社の再三に亘る職場変更こそ問題とさるべきであり、始末書の提出要求は行き過ぎであるとの立場から被告会社と交渉を続けていたところ、被告会社は同女に対し始末書不提出を理由に六月四日から三日間の出勤停止処分を発したので、右組合は右処分は交渉継続中にしかも始末書不提出を理由になされた一方的措置であり不当であるとしてこれに反対し、出勤停止処分に対する抗議行動として同女を出勤停止期間中あえて就労させるとの方針を定めた。

そこで右出勤停止期間中同女が組合の方針どおり出勤し就労しようとしたので労務担当者太田広が就労しないよう制止したところ、原告は、同女に対し自分が責任を負うから就労するようにすすめ、太田広と原告は出勤停止命令令の是非について言い合いした。同女は出勤停止期間である三日間とも就労した。

そこで被告会社は原告が辻本幸子を強行就労させたとして原告に対しそのころ始末書の提出を求めたが、原告はこれに応じなかつた。

原告に対する始末書提出要求につき全一労組支部ないし全一労組愛知地本は被告会社と交渉し全一労組支部執行委員長伊藤光子は、同年九月三〇日被告会社に対し、「私事労組委員長当時辻本幸子の件にて御迷惑をおかけ致した事実を深く陳謝致します。」なる文書を提出した。しかし、労使交渉は解決に至らず、被告会社は同年一一月二日から六日間原告を出勤停止処分にしたが原告はこれにも従わず、右六日間共出勤し就労した。

そこで被告会社は同月二日および六日の二回にわたり被告会社工場内から退場するようにとの業務命令を発したが原告はこれにも従わなかつた。

以上の事実が認められる<証拠判断省略>。

以上認定の事実によれば、辻本幸子の前記無断早退についての始末書提出要求の是非をめぐり労使交渉中に、被告会社は同女を始末書不提出を理由に出勤停止処分としたこと、全一労組支部はこの処分を不当として同女を強行就労させる方針を定めたこと、原告は右組合の方針に従い同女に就労をすすめ、これを制止しようとした会社職制と対立したことが明らかである。

ところで<証拠>によれば就業規則第七一条は「懲戒処分として譴責、減給、出勤停止、論旨解雇および懲戒解雇の五種とすること、譴責は始末書をとり将来を戒める。減給は始末書をとり一回について平均賃金の半日分以内を減給する。出勤停止は始末書をとり一〇日以内出勤を停止する。」と規定していることが認められる。

従つて被告会社が辻本幸子の無断早退に対して始末書の提出を求めたのは、譴責処分の方法としてであることは明らかである。

このように本来譴責処分相当と考えた従業員に対し、始末書不提出を理由に更に重い懲戒処分をなすことは許されるであろうか。

元来使用者のなす始末書提出命令は懲戒処分を実施するために発せられる命令であつて、労働者が雇用契約にもとづき使用者の指揮監督に従い労務を提供する場において発せられる命令ではない。

これに加えて近代的雇用契約のもとでは労働者の義務は労務提供義務に尽き、労働者は何ら使用者から身分的人格的支配を受けるものではなく、個人の意思の自由は最大限に尊重されるべきであることを勘案すると、始末書の提出命令を拒否したことを理由に、これを業務上の指示命令違反として更に新たな懲戒処分をなすことは許されないと解するのが相当である。

従って被告会社の辻本幸子に対する出勤停止命令に対し全一労組支部が反対しこれに対する抗議行動をなそうと考えたのも無理からぬものというべきである。

原告は、右組合の方針に従つて辻本幸子に就労をすすめ、会社職制と対立し言い合いをしたのであるが、別段職制に対し暴力をふるったりしたわけではない。

してみると辻本幸子の強行就労問題は被告会社にも責めらるべき点が存するというべきである。

しかし、たとえ辻本幸子に対する出勤停止命令が無効であつたとし、そのように組合が考えたについて相当の理由が存するとしても、組合が辻本に対し就労を命ずる権限もないし、実力をもつて被告会社の制止にかかわらず同女を就労させるということは自力救済として違法というべきであるが、原告の前記行動は実力を以って強行就労させたと評価できる程のものでないことは先に認定したとおりである。しかも当時の右組合の責任者であつた委員長伊藤光子から被告会社に対し陳謝する旨の文書も提出されているのであるから、その責任問題はこれによつて解決されたものというべきであり、その他に原告から始末書の提出を求める事由は存ない。従つて始末書不提出を理由として原告を懲戒処分に付することは前述と同一の理由により許されないところであるから、原告に対する出勤停止処分はもとより無効というべく、右処分に反対して出勤し更に退場処分に従わなかったとしても、これをもって職務上の指揮命令または業務命令に不当に従わないものとはいえず、被告会社主張の解雇事由には該当しないものといわねばならない。

(4)  解雇事由(四)について

<証拠>によれば、原告は前記(3)認定の出勤停止期間中に出勤し、退場の業務命令を受けたにもかかわらず資材係職場で散らばつている資材を集める作業をしたり、同職場その他の職場で作業中の他の従業員に話しかけたり通路に立つていたことが認められる<証拠判断省略>。しかし、原告が手押機のスイッチに手を触れたり、機械工場の作業場に立ちはだかる等して他の従業員の作業を妨害した事実および作業が完了した積上げ材料の下部の桟を移動させるなどした事実については、<証拠>にこれに副う部分もあるが、右は<証拠>に照らしたやすく信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。そして原告が他の従業員に話しかけたことが他の従業員の操業にどの程度影響を及ぼしたかについてはこれを認めるに足りる証拠はなく、前提各証拠によれば原告としては作業妨害の意図なくむしろ専ら就業の意図に基づくものであつたことが認められる。右の事実によれば、原告の前記認定の言動は未だ作業妨害として被告会社主張の解雇事由には該当しないものというべきである。

(5)  解雇事由(五)について

<証拠>によれば、高橋靖昭が昭和三五年三月二一日被告会社に雇用され同年九月一〇日に退職したこと、児島貞蔵が昭和三四年一一月一一日被告会社に雇用され昭和三八年二月五日退職したこと、大場久代が昭和三五年一二月一八日被告会社に雇用され昭和三七年四月七日退職したこと、原告が高橋靖昭および大場久代に対し「こんな会社におつてもよくはない。やめた方がいい。」旨を述べたことがそれぞれ認められる<証拠判断省略>。しかし原告が児島貞蔵に対しても右と同趣旨の言辞を弄したとの事実、および高橋靖昭ら三名が原告の右言辞の故に退社したことについては、これを認める<証拠>は弁論の全趣旨に照らし採用し難く他に右事実を認めるに足る証拠はない。かえつて前提証拠によれば、児島貞蔵は大正元年の生れで退社当時五一才で妻子三名の居ること、大場久代は養女に行くために退職を申し出たことがそれぞれ認められ、これらの事実によれば同人らが原告の言辞によつて退社したとの主張は到底認められない。してみると前記(2)におけると同様原告の言辞は当を失していることは明らかであるけれども、いまだ被告会社主張の解雇事由に該当すると認めることは困難である。

(6)  解雇事由(六)について

<証拠>によれば、全一労組愛知地本は昭和三七年に被告会社を相手方として愛知県地方労働委員会に対し、同年六月一三日被告会社との間に行なわれた同年春の賃上げ問題の団体交渉において被告会社代表者が出席しなかつたことは団体交渉の拒否であるとして不当労働行為の救済申立(昭和三七年(不)第七号)をなした事実が認められ右認定に反する証拠はない。

被告会社はそのころ右賃上げ問題について全一労組支部側と従組側との間で話合いが行なわれた席上で原告が被告会社主張のどおり暴言を吐いた旨主張するけれども、本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。

もつとも<証拠>によれば、昭和三八年五月三〇日原告の所属する全一労組愛知地本が被告会社を相手方として愛知県地方労働委員会に対し従組の解散要求を含む救済申立(昭和三八年(不)第四号)をした際、従組組合員が原告にこれに関して話合いを求め、その際当時の従組の組合長西村進が原告に対し「組合のことは抜きにして豊橋木工の従業員として互いに仲良くやつてゆこう。」と述べたのに対して原告が、「組織の問題であつてそれには応じられない。」旨答えたので、同年七月一三日従組組合員三三名を含む被告会社従業員四四名が被告会社に対し原告の退社方を要求する書面を提出したことが認められ右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、原告としては単に全一労組支部の組合員としての立場をすてる訳にはいかない旨を述べたものにすぎず、被告会社主張の企業破壊の言動とは認められないから、右事実も解雇事由に該当するものとはいえない。

(7)  解雇事由(七)について

<証拠>によれば、原告は従来機械工として手押機(自動カンナ)等の操作に従事していたが、昭和三七年八月頃の原告の作業能率は他の従業員と比較すると約半分であつて組長内藤清、寺田係長等から再三注意を受けたこと、原告は同年一〇月には資材係へ配転となつたことが認められ右認定に反する証拠はない。

しかし原告は従前作業能率不良等の理由で被告会社から譴責その他の処分を受けた事実は本件全証拠によるも認められず、かえつて<証拠>によれば同年三月一五日には出勤良好等により被告会社から表彰状を授与されたことが認められ、殊に資材係へ配転後の原告の勤務成績がなお解雇を相当とする程不良である事実については本件全証拠によるもこれを認めるに足りず、被告会社主張の解雇事由該当の事実は認められない。

(二)  本件解雇は、原告の所為、言動が就業規則所定の懲戒解雇事由に該当することを理由に、予告解雇の手続を経てなされたものであるところ、以上説示したとおり原告の言動中には当を失していると考えられるものもあるが、結局において被告会社主張の懲戒解雇事由のいずれにも該当しないのであるからその余の点につき判断するまでもなく本件解雇は解雇権の濫用として無効というべきであり、原告と被告会社との間にはいぜん雇用関係が存続し、原告は被告会社の従業員としての地位を有するところ、被告会社がこれを争つていることは弁論の全趣旨により明らかであるから原告は右地位の確認を求める利益があるものというべきである。

四、賃金請求権の存否

弁論の全趣旨によれば、原告は本件解雇後も被告会社に対し就労を請求し続けているにもかかわらず被告会社においてその労務提供の受領を拒絶していることが明らかであるから、原告は本件解雇後も賃金請求権を失ういわれがないことになる。

五、時効の主張について

原告が被告との間の雇用契約上の地位の確認を求めて昭和四一年三月一六日本件訴を提起し、右訴状は同月二六日被告会社に対し送達されたことは当裁判所に顕著な事実である。

通常雇用契約上の地位確認の訴は包括的にその契約関係から生ずる具体的な権利の主張ないしその履行を求める意思即ち個別的権利の催告をも含むものと解すべきであり、右催告が裁判上なされたときは通常の催告と異なり継続的であり、その訴訟の係属する期間中は一体として観念することができるから更により強力な中断事由たる手段をとるべき期間の六カ月の起算点はその訴訟係属が消滅したとき即ちその訴訟における終局判決確定のときと解すべきである。

従って本件において昭和三九年五月八日以降の賃金請求権については、同日より二年以内である昭和四一年三月二六日に本訴状が被告会社に送達された以上は、右賃金請求権につき催告がなされたものとみなされるから、本件訴訟が終局判決確定により終結するまで右賃金請求権の時効は完成しないものというべきであり、この点についての被告会社の主張はその理由がない。

六、賃金額について

(一)  被告会社の日給が基本給(基礎給、年令給、勤続給、前歴給、学歴給の合計)と能率給の総和であること、原告が昭和三九年五月七日当時資材係で材料の乾燥・運搬に従事しその日給が六九四円であつたこと、被告会社の昭和三九年ないし昭和四四年の各夏期一時金および年末一時金ならびに昭和四五年末一時金の各算定方式が原告主張のとおりであること、原告が本件解雇後も従業員たる地位にある場合における原告の昭和四〇年度の基礎給および昭和四一年度ないし昭和四六年度の基礎給、年令給、勤続給、前歴給、学歴給が原告主張のとおりでありかつ右各年度の賃上げ額による賃金計算が遅くとも三月分より始めること、以上の事実は当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>によれば、被告会社の基本給は毎年定められた基準表に基づいて年令・勤続年数等に応じて一率に定められること、これに対して能率給については、建前としては従業員の職種を作業職・監督職・管理職の三つに分け、右職種毎に仕事の熟練度により初級・中級・上級の三段階に更にその各級内に一級から二〇級までの段階に分けた基準表により決定されるが、具体的な能率給の決定方法は、まず労使交渉により各年度の昇給額が決定されると、これを定期昇給とべースアップ分とに分け、前者が基本給に後者が能率給にそれぞれ充てられ、能率給は組長・課長等の職制の考課により序列をつけて配分がなされることがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  ところで原告については昭和三九年五月中旬以降は現実には稼働していないので考課がなされておらず、能率給の格付従つてまた賃上げ額も定められていなかつたが、<証拠>によれば、昭和三六年度から昭和三九年度までの原告の賃上げ額は被告会社の平均賃上げ額とほぼ同額であることが認められる外、もともと原告は被告会社の責任に帰すべき事由により就労を拒否された結果考課の基礎とすべき実績およびその資料を欠いているわけであるから、右考課による部分(能率給)ひいてはこれに応じて変動する賃上げ額は平均賃上げによるのが相当である。そして右能率給の平均額は原告の場合基本給は一率に増加するから、平均賃上げ額により日給額を算定しこれより基本給を控除して算定する外はない。

(四)  <証拠>によれば、原告の昭和三九年度の基本給および能率給ならびに昭和四〇年度の基本給は別表(三)記載のとおりであること、被告会社の昭和四〇年度以降の平均賃上げ額(昭和四〇年度はベースアップのみ、昭和四一年度以降は定期昇給とベースアップの合計額)は昭和四〇年度月額一、二〇〇円(平均稼働日数二五日(年間一二日の祝祭日のあることを考えると平均稼働日数は一カ月二五日とするのが相当である)で除すると日額四八円―以下同様)昭和四一年度月額二、〇〇〇円(日額八〇円)、昭和四二年度月額二、六〇〇円(日額一〇四円)、昭和四三年度月額四、五〇〇円(日額一八〇円)、昭和四四年度は三月以降六月までは月額二、七〇〇円(日額一〇八円)、同年七月以降は更に日額六〇円加算、昭和四五年度月額五、〇〇〇円(日額二〇〇円)昭和四六年度月額五、〇〇〇円(日額二〇〇円)であることがそれぞれ認められ右認定に反する証拠はない。なお被告会社は昭和四二年度の右賃上げ額は稼働日数を二六日として日額一〇〇円と主張するが同年度のみ特に稼働日数を二六日とすべき理由は認められない。

(五)  右のとおりであるから、原告の賃上げ額は別表(三)記載のうち被告会社主張額が右平均賃上げを超える昭和四〇年度・昭和四一年度・昭和四四年度のうち三月より六月までの分はいずれも右主張額(被告会社の自認する額)により、その余は右平均賃上げ額により算定すべきことになり、従って原告の日給額およびこれにより逆に算定される能率給額は昭和四二年度以降の別表(三)記載の金額に各四円を加算するほか同表記載のとおりとなる。

(六)  原告は自己の賃上げとして別表(一)記載のとおり主張し、<証拠>にはこれに副う記載があるが、右はたやすく信用できず、その他本件全証拠によるも前記平均賃上げ額を超える額を認めるに足りない。

(七)  次に<証拠>によれば、被告会社では前記基準内賃金の外に時間外手当(残業・早出・深夜)、家族手当、通勤手当、特技手当、役付手当、精皆勤手当等の基準外賃金が支給され、原告は、母の分として家族手当二〇〇円が支給されていたことが認められ右認定に反する証拠はない。

(八)  次に原告は月額賃金額の算定方法として二六日をもつて稼働日数と主張するが、月間の平均稼働日数は前記のとおり二五日とみるのが相当である(なお昭和三九年五月分については同月八日以降の稼働可能日数は原告主張のとおり一五日を下らないことは明らかである。)。

(九)  更に原告は昭和四五年度夏期一時金の算定方法として日給六〇日分と主張し、<証拠>にはこれに副う記載があるが、右はたやすく信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠もないので、被告会社が自認する限度で認める外はない。

(一〇)  以上認定の事実により昭和三九年五月八日以降の各年度毎の原告の賃金および昭和四六年三月以降の原告の月額賃金を計算すると別表(四)賃金計算表①ないし⑧のとおりとなることは計数上明らかであり、被告会社は原告に対し右同表①ないし⑦の金員とこれに対する弁済期の後である各翌年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金ならびに昭和四六年三月以降は毎月末日限り同表⑧の金員を支払う義務があることになる。

(一一)  なお右昭和四六年三月以降の賃金のうち本件口頭弁論終結の後である昭和四七年一〇月分以降の賃金については未だ弁済期の到来しないいわゆる将来の給付を求めるものであるが弁論の全趣旨によれば、被告会社は原告に対し本件解雇以来任意の賃金等の支払をしていないこと、原告が賃金労働者として右賃金だけで生活していることが認められ、右事実によれば将来も任意に支払いを期待することができない反面定期的に賃金の支払いを受ける必要があり、あらかじめ将来の給付を求める必要があるものというべきである。

七、以上認定説示のとおりであるから、原告の本訴請求は右認定の限度において理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき訴民法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(松本武 渕上勤 植村立郎)

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